審査員講評

畑澤聖悟氏

 

宮城大学演劇集団 Arco iris 『本の虫』

制服の女性を取り囲む4人の演者が彼女の行動や心情をナレーションし、手に持った棒が玄関や階段や部屋を表現します。照明や音響効果と一体になった印象的な幕開きでした。タイトルの「本の虫」は読書に耽る彼女自身のことであり、引用された宮澤賢治の「手紙 一」に登場する竜の骸を喰らう無数の虫のことでもあります。彼女が母親に呼ばれ、読書をやめて退場した瞬間、棒を持った4人は倒れます。量子力学には「宇宙は観測されるまで存在しない」という理論があるそうです。読み手がいなければ物語も消えるのです。エンデの「果てしない物語」を思い出しました。一切の説明を省き、ほとんどを賢治の引用で構成した潔さに拍手を送ります。ただそれだけに、パフォーマンスそのものの演出上の企みがもっと欲しかったところ。あと、俳優のフィジカルな練度をもっと上げると、すげえものになるんじゃないかと思います。またぜひ拝見したいです。

 

 

宮城学院女子大学演劇部『トロイメライ』

ファンタジックな物語でした。主人公の春は眠ると「トロイメライ(夢)」という異世界に移動するわけですが、

そのたび暗転で場面転換になりました。真っ暗な舞台でカラーボックスを移動させたり、机を取り替えたり、大変だったと思いますが、そのため暗転時間が長く、しかも回数も多くなってしまいました。実に勿体ない。暗転なしで場面転換する工夫が必要だったと考えます。そして、劇作の段階で場面展開を最小にすることもできたはずです。講評で申し上げたとおり、この作品は咲月の部屋だけでイケルんじゃないでしょうか。劇作上の問題は親友の一年前の事故死を忘れていることが具体的にどんな不都合を主人公にもたらしているのかが曖昧なことだと思います。親友の死が主人公の乗り越えるべき壁として機能すれば、ドラマが生まれると思うのです。ぜひ、検討してみてください。

 

 

どろぶね『ノアの泥舟』

世界の終わりに一人で踊っている女子大生。よくある「終末モノ」のようでいて、なぜか新鮮でした。終盤の展開は見事です。母親からの電話は彼女の孤独を引き立てるし、東日本大震災についての独白は彼女の諦念を鮮明にします。被災県に生まれ育ちながら被災者ではないことへの罪悪感、不幸への憧れ。「よかった、こうやって、怖くなれて」はスゴイ台詞です。これを生かすためにも、パラレルワールドの設定は不要だと思いました。ミサイル飛来は十分現実に起こり得ます。SFっぽく逃げる必要なんかない。ミサイル着弾までの45分をリアルタイム進行させるべきだ!と力を込めてお勧めします。「私」はまもなく着弾だとわかっていた方がいい。正確に45分後でなくても、まあだいたい朝までには間違いなく飛んでくる。その迫り来る制限時間を観客に実感させましょう。ラストは鳴り響くJアラートと大音量の「USA」で踊り狂い、叫び歌いつつ、音響カットアウト&照明カットオフ。劇場に十分な設備があれば、爆発の瞬間、一瞬だけホワイトアウトするくらい全灯にするのはアリかもしれません。とかなんとか、一晩勝手に語りたくなるような魅力ある芝居でした。是非ブラッシュアップして、全国の学生たちを驚かせてください。

 

 

東北学院大学演劇部『アンファン・ポトフ』

人類が「食べる」という行為を失って久しい未来の物語です。料理のレシピが旧約聖書の物語のように語られて、宗教は人間の欲望が作るのだな、と思いました。ステンドグラスは綺麗でよくできていましたが、ならば、平台に蹴込みがあるべきでしょう。平台と箱馬をむき出しで使いたいなら、ステンドグラスと白いベンチは不要です。

つまり、舞台装置には統一感が必要だということです。平台で神父と少女のアクティングエリアを狭くしてしまったのは勿体なかったです。そして、気になったのは俳優の視線。相手役を見ない、正面も向かないという時間帯が長すぎでした。狭くて俳優間の距離が操作できず、しかも視線も曖昧となれば、関係性を表現するツールをほぼ封じられているということで、これはとんでもないハンデ戦です。終盤に神父と少女が平台の上に立ち、シュプレヒコールのように台詞を言うのはナイスな演出でした。芝居そのものは十分楽しみました。言いづらい台詞も多いし、いろんな意味で難しい脚本だったと思います。よくぞここまで仕上げた!と、思います。

 

 

東北大学学友会演劇部『石英の搭』

仕事で疲弊し自殺未遂のOL・朱里と、一人旅(実は家出?)の中学生・紗彩の物語で、二人の関係性の変化が丹念に描かれていました。終盤、朱里に掛かってきた上司からの電話に、紗彩が怒鳴りつけるシークエンスはすごくいいと思いました。「二度とお母さんに手を出すな!」という台詞が秀逸です。心身共に疲れ切った朱里に、同じく心身共に疲れ切りそして死を迎えた自分の母親を重ねたわけです。その後、「ごめんなさい」と言う紗彩を朱里が抱きしめるシーンは泣かせます。このシーンが感動的なのは朱里が紗彩を「母親のように」抱きしめたように見えたからです。お互いの欠落を埋め合ったわけです。このハグの後に「私のために言ってくれたんでしょ」から始まる長いやりとりがありますが、不要です。このハグで十分だと思いました。16行くらいカットして、「どっか遊びに行こっか」を言えばいい。この一言が雄弁な感謝の言葉になります。あと、勿体ないと思ったのは、二人の距離が0になるまでの物語のわりに、最初っから結構「近い」気がするのです。これは提案なのですが、もっと互いに「嫌なやつ」から始めてはどうでしょう? 本当に監禁するところから始めるとか。検討してみてください。

今回、残念ながら出場辞退となってしまいました。無念だったことと思います。痛いほどわかります。高校演劇に関わる者として、コロナ下の3年、数多くの無念を見てきたし、また自分も自分の部員たちも何度か無念にまみれました。今回、皆さんの通し稽古の動画をご提供頂き、このような形で講評させてもらえたこと感謝しています。この作品はまた何かの機会に是非、上演してください。審査員の一人、と、いうより、一人の演劇人として、それを願っています。

 

 

最後に

演劇祭を通して気になったのは、基本的なテクニカルミスがいくつかあったことです。顔に照明が当たっていない、とか、上演中のスタッフ間の指示が客席に丸聞こえ、とか。審査のあるコンペなのだから外から口出せないのは理解できますが、でも、せっかくプロのスタッフの方が付いてくださっているですからテクニカルなアドバイスは可ということにしてはどうでしょう?ガチ勝負一辺倒ではなく、そういうワークショップ的な側面もあった方がよい気がするのです。あとは、ぜひ、参加チーム&事務局&サポートスタッフで芋煮会をやりましょう。

とにかく、出場チームのみなさん、事務局のみなさん、お疲れ様でした。楽しかったです。ありがとうございました。


真田鰯氏

 

宮城大学演劇集団Arco iris『本の虫』

演技の密度が非常に高く、いささか古い文体である宮澤賢治の言葉が、きちんと観客まで届くのが素晴らしいです。

主人公の彼女にとって読書という体験が、この舞台で表現される鮮やかさをもっているのだと良くわかります。読書という個人的な体験を、その感受の仕方を、演劇的な表現に昇華できるのはすごいと思います。

ラスト、たった一言で本の外にでてくる手腕は秀逸です。

物語の入口は、脚本を読むと必要なことが必要なだけ書かれていますが、棒を使ったパフォーマンスが派手すぎて必要なことが伝わり切っていないと感じました。

「日常が退屈で色彩を欠いている」「家族とうまくいっていない」という主人公。彼女にとって、<この身を焼き尽くして他者のために生きる>という賢治の焼身幻想が、限りなくリアリティーをもって感じられるというのはわかります。自分も高校のときそうでした。「生命を焼き尽くして誰かのために生きる」という幻想が、彼女がどうしても求めずにはいられないものとして見えたいです。そういう意味で、冒頭の色彩を欠いた日常を丁寧に表現すべきかと。『はてしない物語』で、バスチアンが物語に入らなければいけなかった理由の部分ですね。出てきた後に、彼女の現実世界が変容しているのは素晴らしい。そして主人公が演じる物語の中のどこかで「この中でしか、本当の意味で生きることはできないんだ!」って感じさせられると、演劇人としては泣いちゃいます。

 

 

宮城学院女子大学演劇部『トロイメライ』

レイが自分自身から少し距離のある役で、台詞・所作ともに非日常空間としての密度がありました。日常的な台詞で、自分に近い役を演じていると、演劇的なテンションを保つのが難しいと思うので、ぜひ自分から遠い役も挑戦していくと良いと思います。技術的な向上もできるのではないかと。

「この物語は、今、何が問題とされているのか」がなかなか見えてこないと、観客は続きを見続けるのが難しいです。「よくない結末」「忘れている」等の台詞でこの先の展開に注意を向けさせる工夫はされていますが、たぶん前半に必要なものが足りていないです。

「観客に、適切に疑問を持たせることができているか」を、観客の視点からとらえなおすと良くなると思います。

春とれなが手をとるシーンは、手を握っただけで泣けるくらいの、劇的な、密度が欲しいです。

 

 

どろぶね『ノアの泥船』

日常的な演技トーンに見えましたが、ラストの台詞の再現性の高さをみて、かなりきちんと計算されたラフさなのだと感じました。非常に高い精度をもった俳優さんなのだという印象を受けました。

<誰にも見られることなく、孤独な部屋で、死ぬまで踊らされ続けている>というのが、作り手にとっての現実世界に対する感触なのだろうと。そのメタファーの中に作り手のリアリティーがあるのだろうと思いました。どれほどSNSが普及しても、誰からもきちんと受け止めてもらえない、承認への飢餓感みたいなもの。

震災の話のくだりが、すごく良いシーンでした。作り手の中で必然性をもってこのシーンがここにあるのはわかりますが、観客にとっても必然を感じられると良いように思いました。個人的には少し唐突な印象を受けました。理屈としてわからなくても、心の底でわかるような繋がりが感じたかったです。

「見るからにわかる不幸に恵まれてたらなぁって」とか、本人にしか書けないようなとても良い台詞が多くありました。とても優れた感性で他の人には書けないものを持っていると思います。

技術的な問題として、「イライラしている」という状態をそのまま舞台に乗せてしまうと、イライラした感情がそのまま観客に染してしまって、役が損をします。イライラした感情とか怒りを表現するときには「(登場人物が)イライラしていて(観客は)笑える」とか、「(登場人物が)怒っていて(観客は)泣ける」とか、別の感情に転化させる必要があります。

 

 

東北学院大学演劇部『アンファン・ポトフ』

「設定そのものは劇ではない」ということを、私は自分自身に向けて言い続けています。設定はあくまで、その状況に置かれた人間の姿を真摯に描くことで、人間の本質をあぶりだすためにあるのだと思っています。

「主」「信仰」「教義」の気持ち悪さを、「気持ち悪くなく」演じていたことが好感を持てました。観客にとってだけ、えも言れぬ気持ち悪いものになっていました。

せまいアクティングエリアで2人の関係性の変化を見せていくのは高い技量が要求されます。ミザンスの変化で関係性の変化を見せられるはずのものが、狭さ・近さによって上手く機能していない。「不自然な近さ」によって、人は必ず「意味」を感じとってしまうので、注意が必要です。

この脚本は、人物の奥にある劇構造の中にドラマがあるので、観客の視線を奥に誘導する必要があります。観客の視線を奥に誘導するためには、表面的な演技は抑制しなければいけません。詳しくは、別役実『舞台を遊ぶ』で!

 

 

東北大学学友会演劇部『石英の塔』

脚本の基礎・作法をよく理解していて、きちんと構成されています。展開のさせかた、情報の出し方など、とても良いです。

紗彩が母の死を語るところの台詞はとつとつとしていて素敵です。

「快速電車の運転席にはりつく汚れ」とか、挑戦的で良い台詞もたくさんあります。これからもぜひ書き続けてほしいです。

でも、学生のみなさん全員にお伝えしたいことは「会社からひどい仕打ちを受けたら、労働基準監督署に相談しましょう」です。現実世界から受けた不条理を、演劇をやることで抽象的に解決しようとする行為は、個人的にとても良く理解できます。自分もだいたいそれです。でも現実的な問題に現実的に対処できる能力も大事です。自戒を込めて。

 

 

全体の講評

演劇は目的じゃなくて手段で良いと思っています。世界を知るための、人間を知るための、自分を知るための、生きるのを楽しむための手段です。みなさんが豊かな感受性をもって、いろんなものを吸収して、探求して、理解していくことこそが大事で、そこに優劣なんてありません。ぶっちゃけ、観客の評価とかもどうでもよいです。どこまでも深く探求して、みえなかった世界をみて、知れなかった世界を知って、一度きりの人生を存分に生ききって欲しいです。偶然とはいえ、演劇という同じジャンルを選んだことで、みなさんの作品に触れ、みなさんと深いところで出会うことができたことをうれしく思います。貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました!


くまがいみさき氏

 

全体として

2017年の演劇祭に学生として参加してから早くも6年です。6年!

ブルーマーはこの「とうほく学生演劇祭」への出場をきっかけに立ち上げた劇団でもあり、一度途絶えてしまった学生演劇祭が復活し、そこへ審査員として参加することができることはとても得難い体験だったと思います。ありがとうございました。

審査する側として劇を見させていただくのはほんとのほんとに初めてでしたので、講評としてお伝えできているかわかりませんが、見て感じたことを素直に書かせていただきました。

拙い文章ですがどうぞよろしくお願いいたします。

参加された団体の皆様、そして運営に関わったすべての皆様、お疲れさまでした!

 

 

宮城大学演劇集団Arco iris『本の虫』

開幕、一番ハッとさせてくれたのがこの作品でした。これまで観ていた作品たちとはもうちょっと違うぞ、と、開幕の数秒で思わされます。そこからの集中力も途切れず、ぐんぐんと物語に惹きつける力がありました。それだけに、今は彼女が読んでいる本の世界の話なのかな、という前提をもう少ししっかり見たかったです。

また、本の世界に没頭する本の虫の女子高生と、「おかえり」は言わないけど夕飯ができたことを知らせる母親との関係。この外の世界が垣間見えるのがすごくおもしろかったです。外の世界と本の中の世界との関わりや、彼女が外の世界をどう思っているか等、もう少し長く見たくなりました。

 

 

宮城学院女子大学演劇部『トロイメライ』

宮城学院女子大学演劇部さんの作品は、去年の演劇祭でも見させていただきました。その時は実際にケーキを食べながらおしゃべりしているのが印象的でしたが、今回の作品ではクッキーを実際には出さずに、食べている動きをして演じておられました。現実とは違う世界だから、主人公にしか見えておらず本当は食べていないのか、食べていることにしたいのか、そうだとしたらクッキーだけリアルじゃないのはどうしてか、舞台上にある物とない物で、どうしても意味を探してしまいます。

カラーボックスにその部屋の持ち主は何を入れているだろうか、置いてあるブランケットはその人の趣味に合うだろうか。舞台に出てくる・置いてあるすべてのものに、その必要性とどうしてそこにあるのか、一度考えてみるのもおもしろいんじゃないでしょうか。なくてもいい物は置かないとか、あえていらないものをたくさん置いてみるとか、楽しくいろいろ考えてみてほしいな、と思います。

 

 

どろぶね『ノアの泥船』

世界最後の一日、何する?明日ダンスの発表があって落単がかかってるから、U.S.A.のフリを覚える。この時点で最高ですね。しかもこの世界最後の一日が、隕石が落ちて一気に滅びるとかではなく日本にミサイルが撃ち込まれて、それによって争いが激化して結果的に、という時間のかかるタイプ。エネルギッシュな一人芝居の中で吐露される、内陸に住む者としての震災へのあり方。私は彼女の気持ち、「わかる」と思いました。

落単の危機感が、この授業に進級できるかどうかすべてがかかっている、というくらい強く出ていたり、フリを真剣に覚えていくうちに、できるダンスの範囲が広がっていったりする等、前半の激しさと笑いをもっと際立たせてほしいな、と思いました。爆音で繰り返されるU.S.A.と、ミサイル発射のアナウンスと隣人からの壁ドンと、親からの電話と、音響効果をこれでもか!と炸裂させたラストを見たいと個人的には思います。

もっともっとこれからさらにおもしろくなっていく作品だと思います。全国学生演劇祭での上演も楽しみにしております!

 

 

東北学院大学演劇部『アンファン・ポトフ』

今大会唯一の既成脚本ということで、どのように舞台に立ち上げていくか、自分たちで書いた脚本とはまた違った難しさがあったのではないかと思います。長く難しいセリフが多かったり、何度も同じ言葉を繰り返したりする等、稽古時間を割く必要がある部分がたくさんあったかと思います。

ステンドグラスと周りの装飾、しっかり作り込まれていて、こだわりを感じました。綺麗。だからこそ、そのままの平台と合わなかったり動ける幅を狭めてしまっていたり、舞台美術として効果的であったかどうか、もったいなく感じてしまいました……。去年拝見した際も短い場転時間でたくさん平台を組んでいたのが印象的だったので、ここを強みとして作品に生かしていけると、さらに見応えのある作品になるのではないかと思いました。

 

 

東北大学学友会演劇部『石英の塔』

脚本と稽古の様子を動画で見せていただきました。本当に!ぜひ公演として見させていただきたかった!おもしろかったです。タイトルと最初と最後に読まれる童話の中身から、ラプンツェルがモチーフになっているのかな、と思ったのですがどうでしょう?自殺しようとしている社畜OLと、それを止めたことからOLの部屋までついてきた少女が心を通わせる様子がかわいくもあり切なくもあり、個人的に好きな作品でした。「電車の窓のシミになる」「動作が先に始まっちゃった」「お母さんに近づくな」など

など、脚本の時点でグッとくるセリフがしっかり書かれていて、より公演として見させていただきたく思いました…!ちゃんと子どもに見える役者さんもすごい。

また、初めて会った日から心を通わせるまでをもっと時間をかけて描いてほしかったのと、自分よりずっと年下の少女に初めて触れたときの体温と感触はどうだったのか、他の人間の体温に触れることの尊さをより丁寧に演じていただきたいな、と思います。またお目にかかれるのを楽しみにしております!